おだやかだなって感じられるのが凪の世界

こんにちは!松浦みづほです。

私は、自分がつらいよ〜!な時期に「それ、あなたのトラウマちゃんのせいかも?」をものすご〜く読んでいたので、今でも時々読み返して安心したり、なるほどな〜って感じたりしています。

普通に読み出すと、なんとなくさら〜っと読み終わってしまったり、(長いので)読み返したいところがどこにあるか分からなかったりするので、大事だなとか、覚えておきたいなという所はノートに書き出して読み返したりできるようにしているようなお守り的な本になっています。

感情が嵐のように渦巻いていた時は、とにかく希望…というか、こうなるんだというものがほしかったので、トラウマの人の脳が凪になっていくまでの段階という所を読んでは、こうなれるように今を頑張ろう…と思っていたな〜と思います。

トラウマの人が『「◯◯の恐怖」×7』を唱えて凪になっていくまでにいくつかの段階がある。
最初は、他人の感覚が中心だったのがだんだんと自分の感覚が感じられるようになる。トラウマの人は“根底にある恐怖”を回避するために、人に対して怒っていたり、過去の出来事を引っ張りだしてきて後悔したりして怒る。さらには、“今”じゃなくて“将来”のことを想像して不安を増幅させてパニックになる。それも全てトラウマによって解離した“今、そこにある恐怖”の記憶を回避したいから。

『「◯◯の恐怖」×7』を唱えていると、それまで、未来、過去、他人と手を替え品を替え“回避”していたのが、段々と回避の振り幅が少なくなって、やがて、今、現在の感覚へとシフトしてくる。
幼い頃から回避をしてきて、自分の感覚を感じていなかったトラウマの人が自分の感覚を感じ始めると、それまでと同じようには動けなくなったりする。それまでは、感覚が麻痺していたからできていたことが、“今”の感覚が感じられるようになっているから、すぐに不快感を感じて以前のようにできなくなる。脳の過覚醒が凪になって感覚麻痺がないので「嫌だ!」とちょっとでも思ったことがやれなくなる。だから、これまで人への気遣いやお世話など、自然とやれていたことがやれなくなって行動量が減っていく。でも、生活や仕事には一切支障をきたさないから不思議である。

〜略〜

感覚麻痺をしていたときは、あんなに人に気を使って努力しても、評価されなくて感謝も無かった。それなのに回避する為に使っていた他人の感覚から今の自分の感覚へとシフトして以前のように気を使わなくなり動かなくなったとたんに、評価されるのは不思議な現象である。
でも、これが脳の凪からあの一体感が感じられる大切なプロセスになる。

それ、あなたのトラウマちゃんのせいかも?/大嶋信頼 著

この、自分の感覚を感じられるようになるプロセスってとても大切だなと感じます。
自分のことを振り返っても思うのですが、麻痺していると本当に自分の感覚っていうものが感じられていないんですよね。

どれだけ不快に感じていても、その不快に気がつけないから平気でこなせたりしてしまう。
自分の感覚がわかるようになってくると、とても出来ないようなことを、麻痺している時にはこなせたりしちゃいます。

でも、自分の感覚が見えてくると、どうしても無理だ〜、と出来ないことが出てきたりします。
今まで出来てたことが出来なくなるって、日常生活への適応が下がるので大丈夫なのかな?と心配になったりもするのですが、長い目で見ると、この段階は飛ばせないものだなと感じます。

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