嫌な思い出をいつまでも反芻してしまうのは苦しみに依存しているから?

こんにちは!松浦みづほです。
夕方から夜はちょうどいい温度ですが、日中は暑くなりますね〜。
パソコンからの熱が暑いです。笑

思考中毒は頑張ってやめられるものじゃない

最近散歩をしたりして思うのは、以前は頭の中で過去の嫌な記憶とか、未来に起こるかもしれない(と勝手に予想した)不安などをず〜っと途切れることなく考え続けていたな〜ということです。

歩いたりしている時って他のことに気を散らせないので、気がつくと「またこのこと考えていた…」とか「考えたってしょうがないのに、考えることをやめられない」という感じで、頑張っても止まらない嫌な記憶の走馬灯(?)って感じだったなと思います。

今になって思うと思考中毒してますね〜って感じなのですが、その時の自分にとっては昔から当たり前の状態だったので、あ〜また考えてたって感じで、でも仕方ないよねという感じでした。
だって頑張ってもやめられないんですもん。(中毒ですからね!笑)

でも、この不快な思考のグルグルが治ってきたのは、FAP療法で依存系の治療を受けた時でした。

完全に頭の中の状態が変わった!となるまでは、私の場合は数回はかかったのですが、今までどうやっても止まらなかった嫌な思考の反芻が1回目の治療の後から軽くなってきたのは、自分でも興味深い変化だったなと思います。

それまでは、ちょっとでも隙間があると嫌なことを考えているって感じだったのが、ぼ〜っとしていても不快なことを考えていない状態になっている。

不快なことを考えていないと、季節の変化とか、お日様に当たって気持ちいいな〜とか、風が気持ちいいな〜という「自分の感覚」がだんだん感じられるようになっていって、穏やかな自分の気持ちというものを取り戻して言ったように感じます。

この、自分がよくなったと感じられる回数は、その方がいまどんな状態か?にもよるかと思います。
私は結構不快な思考に嗜癖していたかもという感じだったので、頭の中の状態が変わったと感じられるまでは数回、同じテーマFAP療法を受けました。

苦しいことに依存しちゃうってどういうこと?と思考中毒じゃない方は感じるかもしれないのですが、「赤ずきんとオオカミ〜」の本にあったように、初めは自己調節のための試みだったものが、どんどんエスカレートしていき、自分に害をもたらしているのにやめられないコントロールの障害に陥ってしまう…そんな感じだなと思います。

思考は目に見えないので、苦しみが分かりづらいという面もあるかもしれません。

だけど、「依存」という枠組みから見てみると、お酒やお買い物やギャンブルなどと同じように、苦しい思考に「依存」している。
だから、その方面からアプローチしてみると苦しみが必要なくなっていって、頭の中に流れる言葉や景色が変わっていくんだなと感じます。