誰かに頼りたくて仕方がないのは?

こんにちは!松浦みづほです。

頼りたくなってしまうのは、「私の力」を奪われてしまっているから

トラウマの影響があると、「自分には力がない」とか、「一人では生きていけない」とか、「誰かに助けてもらったり一緒にいてもらわないとダメ」という風に、自分自身の「力」というものが奪われてしまっている状況に入り込んでしまうことがあると感じます。

本当は、自分には「力」があって、その力を使って何かを決断したり、自分を自分がいきたい進路に進めていったり、いきたい場所に連れていくことができる。
自分の人生を、自分で進めていける力を持っています。

だけど、例えば小さい頃に自分で何かをしたり、成し遂げたりということを取り上げられていたり、自分が心からワクワクするようなことをしようとしたときに怒られたり、選択することに対して恐怖を感じるような経験を繰り返したりしていると、その「力」というものは奪われていってしまうと感じます。

そうすると、どんどん自分の感覚に対する自信というものが持てなくなっていってしまうので、「誰か」の判断を必要とするようになってしまうんですよね。

そして、その「力を奪われた」状態を自分だと取り入れてしまうことで、誰かにくっついていないと不安な自分を「自分」だと、歪んだ形で見ることになっていってしまうんだと感じます。

例えば、ちょっとした買い物でも、
これ買っていいかな?と聞きたくなる。
自分が行きたいなと思ったところでも、
ここに行っていいかな?って聞きたくなる。

そんな不安の下には、恐怖の感情が隠れていると感じます。

そして、その恐怖の感覚は、それを感じた子供の頃の感覚だったりします。
だから、本当は今の大人の自分の感覚だったらそこまで揺さぶられないようなことでも、大きく感情が揺さぶられてしまって不安になってしまう。
心配で心配でしかたなくて、これでいいかな?って聞かずにはいられなくなってしまったりするなと感じます。

恐怖がなくなると、自分にとっての自由が見えてくる

カウンセリングを受け始めた頃、私はこの傾向がすごく強かったな〜と感じます。
例えば洋服を買うとき、ipodを買う時も、これ買っていいかな?って誰かに確認をしていました。
(なぜipodが出てきたかというと、カウンセリングでそのことを相談したのを思い出したからです。笑)

自分でもどうしてそこまで聞きたくなるのか分からなかったので、不安な気持ちは外に出さないように、でも聞きたいから、さりげな〜く、自然な感じ?でささっと聞いたりしていました。
(他の普通?の人は、自分のように許可を欲しがっていないというのは感じていたので)

すごくすごく、誰かにそれでいいよって言って欲しい気持ちがあったなと思います。
だから誰かに頼ったり、一緒にいてもらわないと駄目だという感覚がきっと強かったんですよね。
それがどうしてそうなのかはカウンセリングを受けるまでは考えたこともありませんでした。
自分が心配性だからっていう風に捉えていたと思います。

だけど、FAPを受け続けていく中で、その恐怖をテーマにカウンセリングを受け続けていくと、なんで今まであんなに人に聞いていたんだろう?って思うほど、その不安はなくなっていきました。(ちょっと時間はかかりましたが)
そして、FAPを受けることでなくなっていくということは、この心配性な自分というのは本当の自分の姿ではないんだなということも、途中からわかっていきました。

買い物であれば、買っても買わなくてもいいし、自分の感覚でどうするかを選択することができる。
自分が行きたいところ、進みたい進路だって、自分の感覚で選んでいくことができるんだなと感じられるようになりました。

人に聞かなくても、自分の感覚で選択できるようになったときに感じたことは、本当はこんなに自由なんだな〜ということです。

恐怖に支配されてない、自分の感覚って本来はとても自由なもの。
そして、どんな人にとっても、それぞれの自由があるんだなと感じます。