誰かの「わがまま」が許せないときは
こんにちは!松浦みづほです。
以前、髪がすっごく綺麗な方にどんなケアをしてるんですか?と聞いて教えてもらったトリートメントが自分の行っている美容院で買えることが分かってとても嬉しい最近です。Aujuaというブランド?の中のシリーズを使っているのですが、髪質ってトリートメントによってかなり変わるな〜!って感じています。
気持ちを押し殺して「いい子」で適応していると
子供の頃から自分の感情を押し殺して、「いい子」でいることで環境に適応して(生き延びて)きていると、誰かが自分の感情のままに表現したり、そしてそれを受け入れてもらっているのを見たりすると怒りを感じてしまうことがあるなと感じます。
その「誰か」は子供だったりすることもあり、どうして自分は優しく受け入れてあげられないのかなって自分を責めてしまう場合もあるかもしれません。
子供の頃は自分の感情を感じて、それを表現して、そしてそれに共感してもらうことが感情を育てていく上で大切なことでした。(感情のドレミファソ)
例えば何かがほしくて、でもそれが叶わなかったとしても、「これがほしかったんだね」「それが叶わなくて悲しいって感じているんだね」そんな風に気持ちを受け止めてもらえたら、悲しいから気持ちが乱れているんだなって感情を消化していくことができて、願いが叶わなくても気持ちを整理していくことができます。
でも、そうやって受け止めてもらえなかったり、ありのままの感情を表現したときに怒られたりと、感情を出すことを否定されるような体験を重ねてしまうと、感情を表現することが「わがまま」とか「いけないこと」のように感じられてしまうことがあるなと感じます。
そうすると、誰かがその「わがまま」なことをしていると怒りで反応してしまうことがあります。
そして、その怒りの感情によって苦しんでしまったりする。
でも、その怒りって「今」に対する怒りではなくて、気持ちを押さえつけられた「過去の怒り」かもしれません。
本当は、気持ちを受け止めてもらいたかった、願いが叶わなくて悲しかったんだねって受け止めてもらいたかっただけなのに、否定されたり、怒られてしまったその時の「怒り」が今に侵入してきてしまっている。
過去からの影響で、今反応が起こってしまっているのかもしれません。
「感情をだすこと」がトリガーにならなくなる
トラウマ治療を行なっていくと、過去の「怒り」が整理されていくので、「わがままに見える」場面を見ても反応しなくなっていくなって感じます。
「感情を出すこと」がトリガーにならなくなって、冷静に、客観的に対応することが出来るようになっていくんですよね。
「わがまま」な人を見て、もしも浮かんでくる思い出があったら、大人になった自分がその時の自分の気持ちを「あの時はあんな気持ちで悲しかったね」「分かってもらえなくて悔しかったね」「だけど本当に頑張ってきたね」って受け止めて抱きしめてあげてほしいなって思います。