感情のドレミファソ

こんにちは!松浦みづほです。
昨日まで暖かく過ごしていたのであまりの寒さにびっくりです!
今日も「赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケア/白川美也子著」を参考にブログを書いていきたいなと思います。

複雑性PTSDには、感情のコントロールができない、危険な衝動や行動が制御できないという症状があります。(ヴァン・デア・コーク氏が確立したDESNOSという概念のAの症状)

感情のコントロールは成長の過程で身につくもの

幼児へ成長していく過程で、子供は自分や他人にさまざまな気持ちがあることを学びます。大人は、小さな子供がニコニコすると、同じように微笑みながら「気持ちいいね」「楽しいね」と伝えます。子供が不快さを態度で表現すれば、同じように顔を曇らせながら、気持ちを察知して「悲しいんだね」「さびしかったのかな」と伝えます。
「情動調律」というのですが、いわばピアノの調律のように、相手の音(感情)に自分の感情を共鳴させながら、その音を名づけ、気持ちにドレミファソをつけていく作業です。こうして子どもは、無音だったり、全部の鍵盤をバーンと叩いたりするのではなくて、自分のメロディを感じ強弱をつけてメロディを奏でることを身につけていくのです。

〜中略〜

そして大人は「叩いちゃダメだよ」と、行動の限度も教えます。泣いている子どもに「どうしてほしいのか言葉で言ってごらん」とうながしたりもします。
こうして子どもは、行動を調節したり、自分の要求を周囲との関係の中で適切にかなえることを学んでいくのです。

赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケア/白川美也子著

このように、感情のコントロールというのは持って生まれたものではなく、成長していく過程で周囲との関わりとのなかで発達していくものです。
だから、子どもにとっては安定して感情を共感してもらうことがとても大切になるんですね。
そうやって大人に共感してもらいながら成長していくことで、自分がいまどんな感情を抱いているのかを知ることができ、それを自分の力で消化していくことができるようになっていくんです。

ですが、もしも大人の気分によって、ある日はそれがいいこととされるのに、別の日にはそれが駄目なことになったりと一貫したルールがないまま、振り回されることになったとしたら?
自分の気持ちを受け止めてもらえず、むしろ大人の気持ちをケアしなければいけないような状況になってしまったとしたら?
子供はどうやって自分の感情をコントロールすればいいかわからないまま、成長していかなければならなくなってしまいます。

そのように成長していくことは本当に沢山の困難と苦しみに溢れています。やっとの思いで成長していったとしても、自分の感情の調節をコントロールすることが出来なかったり、自分の気持ちが分からなかったり…。そして、そんな自分をありのままでいい、大切な存在だと思えない状況に陥ってしまうんです。

感情に名前を付けよう

感情のコントロールが出来ないというのは、「ド」(気持ちいい)と「ソ」(すごく嫌)は分かるけど、「レミファ」がどんな気持ちか分からないという状態。
「レミファ」の時点でなんだかよく分からないけど嫌な感じがしてモヤモヤ…を放っておくと、突然「ソ」になって爆発!という感じになってしまいます。

ということは、「レミファ」の早い段階で「ちょっと嫌だな」に気がつくことが出来れば、爆発!になる前に感情に対して何らかの対処をすることができて、また「ド」に戻すことが出来るということですよね。

私の感覚としても、ちょっとモヤモヤっとした時に「いつからかな?」「どんな感情かな?」と探っていくと、例えば「あの時自分の話したことがわかってもらえていない様な気持ちになって、悲しくなっていたんだな」と腑に落ちることで、気持ちの整理がついてまた「ド」の状態に戻ることが出来る感覚があるなって感じます。

ちょっと「不快だな」と感じたら、それが「寂しい」のか「悔しい」のか「悲しい」のか「恥ずかしい」のか。そして、それがどんなことをきっかけに、どのくらいの強さで生まれた感情なのかを「言葉」として表現することが、感情をコントロールする力を得るために大切なことだなと感じます。

大嶋先生も、いつかのブログ(確か)で西洋文学を読んで言葉の種類を増やすといいと書かれていたことがあったなと思います。(例えば「悲しい」だけでも色んな強さの悲しみがあって、西洋文学ではその細かな表現がされているから)

感情を言葉にすることで、いま自分が「ドレミファソ」の中の、どの段階の感情を感じているのかを知ることができる。
そして、言葉として形にすることでその感情の正体を知ることができ、自分の感情に対する主導権を、自分自身で握ることが出来るようになるんだなと感じます。