本当は、そのままの自分で輝ける

こんにちは!松浦みづほです。
先日、ある所で文章を頼まれて書いていたのですが、書いたものを喜んでいただいていたみたいでこっそりとっても嬉しいな〜と感じています。
そして、私がそこに込めた思いも受け取ってくださっていて、何も伝えていないのに通じたことがとても嬉しい出来事でした。

文章を書くのが、苦手で苦手で仕方なかった自分が書いた言葉で、喜んでいただけたことが嬉しいなと思いました。

私が私でいることを妨げてしまっているもの

自分には魅力がないという感覚って、ここまで人が魅力をだすことをブロックしてしまうんだな〜と感じることがあります。

身長が高いから、
身長が低いから、
一重だから、
二重だから、
〇〇だから…

その駄目な所って、誰かに言われたことかもしれないし、自分が愛されない理由を探した時に、ここがこうだからに違いないと、自分で結びつけたものかもしれません。

色々な経緯があって自分の駄目な所って作られていくと思うのですが、そう感じている時って「そのこと」にすごく注目してしまっていて、それが自分の全体に影響を及ぼしてしまっているかの様に思ってしまっていることがあるなと感じます。

私も色々な自分の駄目なところ(とその時思っていたもの)を持っていて、それがあるから自分って人から相手にされないとか、頑張らないと好きになってもらえないと感じていたなと思います。

自分の駄目なところは、人から悪口のような形で言われたこともあれば、誰からも言われたことがないけど自分ではそう思っていたこともあります。

そして、その感覚が深く自分の心に刺さってしまっているから、例えば誰かに自分の駄目だと思っている部分を褒められたとしても、どうせお世辞で言っているんだろうなとか、この人だったら長所に出来るかもしれないけど、私は違うんだ〜!なんていう感じで、自分の中の新しい価値観として取り入れることは出来なかったな〜と感じます。

湧き上がる自分への嫌悪感!という感じなので、意識の力で変えようとするのはどうしても難しい部分があったんですよね。

でも、不思議とトラウマ治療のなかで自分への嫌悪感がなくなっていくと、いままで「ここが駄目」と思っていた部分って「なんでそう思っていたんだっけ?」というくらいの感覚になっていったなと思います。

人によっては、そんなこといってましたっけ?と忘れてしまうことだってあるな〜と感じます。

身長が低くなったり、高くなったり、顔の形が変わったりと現実が変わったわけではありません。

そこにある事実が変わっていないのに、トラウマ治療によって自分の感覚が変わっていくということは、やっぱりその「駄目な感覚」って自分の感覚ではなく、誰かから作られたものだったり何か原因を見つけたくて作り出していたものだったのかもしれないなと感じます。

そして、それがなくなっていくことで「もともとその人が持っていた素敵なところ」が外見に反映されていくんですよね。
どんな風に反映されていくか?というと、表情とか、態度とか、リラックスした雰囲気なんていうところかなと思います。

また、本当は周りはその人のその部分を素敵だと思っていたけど、自分では駄目だと思っていたから受け取れなかった周りからの「素敵だね」という言葉を受け取れるようになったりということもあるかなと感じます。

そんな、内側から出てくる魅力によって人が惹きつけられてきたり、輝いていったりということがあるんだな〜と感じています。