いつまでも失恋の相手が忘れられないのは?
こんにちは!松浦みづほです。
初夏だな〜って日差しになってきました。ちょっと前までは日向が気持ちいいって感じでしたが、今は日陰が心地いいな〜って感じです。
道を歩いていても、ついつい日陰がある方を歩いてしまいます。
感情のひっかかりはどこから?
感情の引っかかりって思わぬところにあったりするなと感じます。
私の「失恋」もそうですが、相手のことを考えた時にうっと苦しくなる感情って、「好きだけどそれが叶わなくて苦しい」だと思っていました。
好きだから、忘れることができないんだろうな、と。
もちろん、その感情もあったかとは思います。
「喪失感」とか、「相手の感情をもらってしまっている」などを一つ一つ治療していくことで楽になっていった部分も本当にありました。
ですが、私の場合は最後の最後で苦しい〜となっていたのは「恥ずかしい」という感覚でした。
好きだった人に好意をもってもらえない自分は「恥ずかしい」とか
これくらいのことで悩んでて「恥ずかしい」とか
(本当は「これくらいのこと」なんてないんですが、その時はそういう風に自分にダメ出しをしていました)
勘違いしていて「恥ずかしい」なんていう思いが、相手のことを思い出した時に苦しい〜という感覚に繋がってしまっていて、その結果いつまでもその人のことを忘れられない!となってしまっていたんですよね。
自分の意識的な面では、自分が「恥ずかしい」と思っているとは認識していませんでした。
(もしかすると気がつきたくなくて認めなかっただけかも…)
でも、確かに振り返ってみると、こうなった今となっては全てのことが恥ずかしい…とか、自分が恥ずかしい…と自分のことをすごく責めていたんですよね。
それが、未消化のままの感情として残ってしまっていました。
恥の感覚というのは結構強烈なので、誰にも知られたくなくてカウンセリングで話すのもどうしようかな…と迷うものでもありました。
もしかすると、ありのままを言うのはキツすぎてちょっと事実と違う風に伝えたかもしれません。
それくらい自分の存在に関わる感覚として感じていたような気がします。
治療で「恥ずかしい」をテーマにやっていただいた次の日の朝、それまで「思い出すとうっとなる」という感覚だったものが、好きじゃなくなってる〜!となったのは本当に驚きだったな〜と感じます。
(FAP療法はそういうところがありますよね!)
それと同時に、自分はなんであの人のことが好きだったんだろう?
何を恥ずかしいと思ってたんだろう?
と言う気持ちになりました。笑
それって「恥」というフィルターがなくなったことで、現実をそのままの目で見られるようになったのかもしれないなと思います。
そうすると、相手が本当はどういう行動をとっていたか?を冷静に振り返ることが出来るようになるんですよね。
冷静な目で観察してみると、それまでとはちがった現実が見えて来たりします。
苦しみの根っこにあった感覚が、好きとか喪失感でもなく「恥ずかしい」だったことが、自分のことながら興味深いな〜!と感じました。