人間関係と自由ってすごくリンクしています

こんにちは!松浦みづほです。

2・6・2の法則を使って自分の苦しみの原因を探ってみると

人と人との関係って興味深いなと感じます。
ある人といると、自分には力があって、その力で色々なことを切り拓いていくことが出来ると感じるのに、
別の人といると、自分って何も出来ない、能力のないダメ人間だ〜と感じたりします。

これは対個人でも感じることですが、グループ(集団)になっても同じような感覚を感じることがあるなと感じます。

このグループ(集団)にいると、自分って駄目だなとなってしまう人間関係。

大嶋先生の本には2・6・2の法則という働きアリの法則がでてきますが、自分が苦しくなってしまう関係って、この下の2に自分が属してしまっているんだろうなと感じます。

下の2ってどんな役割かというと、みんなのストレスを処理する役割ですよね。
みんなのストレスを請け負って、自分が苦しくいることで、みんなはどんどん元気になり、成功していく。

でも、自分はどんなにみんなの愚痴を一生懸命聞いてあげたり、元気になれるように色んなことをサポートしてあげたり、大変そうだったら代わりにいろいろなことをやってあげたりしても、評価されることがなかったりします。

どんなに頑張っても評価されなくて、いつもみじめだなってなってしまう。
みんなはどんどん成功したり、元気になっていくのに、自分はいつまでたっても変わらない…。
そんなポジションに入り込んでしまうと、なかなかそこから上のポジションに登っていくって難しかったりします。

上がって行こうとしても、どうしても下にまた落とされてしまうんですよね。
(だってみんなは下に下がりたくないですからね。意識していなかったとしても。)

例えば、自分に自信がついてきて「ちょっと元気になってきたかも!自分ってできるのかも!」と思っても、また「自分って駄目だな」と感じさせるような出来事が起こったり言われたりして(しかも言われていることに気がついていなかったりもします)、「やっぱり自分って駄目なんだ…」「いつまでたっても自分はこの程度」という同じところをグルグルしてしまう。

そうすると、いつも景色が変わらない「輪」のなかを回っているような感じになってしまうなと感じます。

じゃあ、どうしたらその同じ所をグルグル回ってしまうのをやめられるのかな?と思うと、その関係から「出ていくこと」が必要になってくるのかなと思います。

もしかすると、その関係から出ていくことに恐怖を感じたり、抵抗を感じたりすることもあるかもしれません。

その抵抗の奥には、
「ここから出て行ってやっていけるのだろうか?」
「この人達に見捨てられたら自分は永遠に一人になってしまうのではないか?」
なんていう感覚があるかもしれません。

でも、この感覚って本当に自分のものかな?とよく見てみると、意外とそうではなかったりします。

「ここから出て行ってやっていけるのだろうか?」という気持ちの背景には、「あなたの能力では他の所でやっていけるわけがない」という“誰か”からの言葉や態度、

「この人達に見捨てられたら自分は一人になってしまうのではないか?」という気持ちの背景には、「ここ以外であなたなんかを受け入れてくれる場所なんてあるはずない」という“誰か”からの言葉や態度があったりします。

つまり、本当は「私たちのストレスをここで処理していてね」というポジションに居させるために「駄目な私」というものが作られているんですが、そんなストレートに言ってきたりは普通しません。(さすがにそう言われたら気がつきますしね。笑)
「ここに居るしかない」と“私が”選択するために、嘘の言葉を伝えているんだなと感じます。

トラウマから回復してくると、このグループ(集団)にいるのは苦しいな、と段々自分の感覚を感じられるようになっていくと感じます。

初めは、あの人たちと会うと調子が悪くなるな〜?という感じかもしれません。
でも、段々とその場で苦しい!と感じることが出来るようになっていくなと感じます。

そうやって自分の感覚に沿ってそのグループ(集団)を離れてみると、「ここから出たらやっていけない」とか「この人達から見捨てられたら一人になってしまう」という感覚は幻想だったと分かっていく。

むしろ、そこから離れていた方が心地よく自分らしくいられたり、自分の力を発揮していくことが出来たりします。

そうやって、自分らしさや力を感じられたときに、あの「駄目な自分」というのは、みんなが元気でいられるために作り上げられていた「幻想」だったんだな〜と腑に落ちていくのかなと感じます。