人から好かれたい!は「好かれない」体験を再演しているのかも?

こんにちは!松浦みづほです。
今日は久しぶり〜な道を歩いてみました。多分最後に通ったのが、桜が散っている時だったので季節がすっかり変わっていて緑が濃い〜!って感じでした。
1ヶ月ちょっとなのに、変化って面白いですね。

自分が本当に「人から好かれたい」と思っているかは分からない

トラウマの影響から解放されていくと、好かれたい!モテたい!ってあんまり思わなくなっていくんだな〜と、昨日のブログを書いていたら思い出しました。

そう思うと、「好かれたい!」「モテたい!」ってトラウマからくる人への依存的な症状だったり、再演だったりという面が強いのかなと感じます。

トラウマを刺激されるようなことがあると、人を使って回避しようとしてしまったり、トラウマになっている感情を消化しようと、同じような体験を繰り返してしまう。
知らず知らずのうちに、そのトラウマのループの中にはまってしまっているんですよね。

自分自身のことを思い返してみても、私も人から好かれたい!という思いが強かったな〜と思います。

みんなから好きって思われたい。
必要だなって思われたい。
嫌われたくない…。

そんな思いが強かったから、どれだけ「いいね!」と言ってもらっていても満足できなかったし、自分のことを傷つけてくるな〜という人からも離れられない…となってしまっていたんだなと感じます。

でも、トラウマからの影響がなくなっていくと、好かれたい!嫌われたくない!という感情ってどんどんと薄くなっていったなと感じています。

自分の基準が他人ではなく自分に戻ってきたので、人からの評価に左右されることがなくなっていく。

私の場合は、「嫌われることへの恐怖」がなくなっていったことが大きかったかなと感じています。
それまでは、「嫌われること」がものすごく大変なことのように感じていた。
世界が終わってしまうくらいの感じだったかもしれません。

でも、実は本当の自分の感覚としてはそこまでのことではなかったんですよね。
トラウマの再演かも?と考えると、その「世界が終わってしまうような感覚」は子供の時に自分が感じていた感覚を、大人になっても持ってしまっていたから感じたことかももしれません。

恐怖につながる傷があったから、一大事のように感じられてしまっていただけで、大人の自分からしたら、実は人に嫌われるってそこまでのことではなかったりするんですよね。

心の傷からくる「恐怖」の感情があるから、人からどう見られているか、思われているかが気になってしまう。
だから、必要以上に周りに合わせようとしてしまって苦しくなってしまう。

ですが、その影響がなくなっていくと自分を中心に生きていけるようになっていって、そこには自分にとっての本当の自由があるんだなと感じます。