人のコンプレックスを受け取らない

こんにちは!松浦みづほです。

私がFAP療法の好きなところは、自然と「その人自身の姿」になっていくというところかな〜と思います。
周りから見ていると変化しているって見えるのですが、そのご本人にとってはそれが自分の自然な姿なので、あまり意識されていない感じにも見えて、それも興味深いなって感じます。

そんなことを思うと、私自身もFAPは受けているので、自分の気がつかない部分で変化しているのかもしれないなと思います。
そういうのってちょっとワクワクしますよね。
自分の気がつかない変化、面白いです。

私が私らしくいられる時、それがいちばんの心地よさを“私”にもたらしてくれるのかなと感じます。

そのコンプレックスは誰のもの?

最近感じるのは、人のコンプレックスを受け取らないって大切だなと言うことです。
私も色々なコンプレックスを感じていましたが、そこから離れてみると自分のコンプレックスって、人のコンプレックを受けてのものだったな〜と見えてくることが本当に多いです。

例えば、一輪車にのれないことがコンプレックスだったとします。(なぜか一輪車…笑)
そこには「一輪車にのれない」という事実があるだけなのに、どうしてそれをコンプレックスと感じてしまうのかな?と思いを巡らせてみると、そこにはやっぱり、誰かからの“一輪車に乗れないことは恥ずかしいこと”というメッセージがあるからです。

そして、その“一輪車に乗れないと恥ずかしい”というのは、その言葉を言った人のコンプレックスなんですよね。
もしもその人が一輪車に乗れていたとしても、一輪車に乗れないことが恥ずかしいことだから、頑張って乗っていたりするわけです。
でもそれを見せないから、受け取ってしまった側は混乱してしまって、一輪車に乗れないって恥ずかしいことなんだ…となってしまう。

言葉で直接言ってこなかったとしても、ミラーニューロンでみんな繋がりあってしまっているから、人のコンプレックスが頭の中に流れ込んできてしまう。
得に近しい人のコンプレックスだったらなおさらです。

多分、自分のことをそのまんま好き、と思えていたら、コンプレックスが自分の中に入ってくる余地ってきっとないんだろうなと感じます。

でも、私の場合は「自分のことがそのまんま好き」と言う感覚が特に子供の頃はまるでなかったので、そのまま相手のコンプレックスを自分のなかに受け止めてしまって、自分のコンプレックスにしてしまっていました。
しかも、一度コンプレックスが作られてしまうともっと自信がなくなるので、雪だるま式にコンプレックスって増えていくように感じます。

FAPを受けるようになって、人からの影響を取り除いていくうちに段々と自分自身がはっきりしてくると、そのコンプレックスが実は人のものだったんだということが、とてもよく見えてくると感じます。

そして、「人のコンプレックス」と「自分」を切り分けることができるようになってくる。
そうすることで、より「自分」というものが際立ってくるのかなと感じます。

自分が際立ってくることで、自信もついてくる。
そして自信というのはゲットするものではなくて、もともと自分の中に備わっていて、だけどコンプレックスによって覆い隠されてしまっていたんだなと気がつくことができるのかな、と感じました。