「なんかちょっと違うかも…」という感覚は大切な無意識からのメッセージ
こんにちは!松浦みづほです。
パクチーって人によってはとっても好き嫌いが分かれる食べ物ですよね。
におい?が駄目な方が多いのかな?
私はパクチーって草の味だな〜くらいにしか感じていなかったのですが、苦手な方は一度でも入ったものはわかる!(あとから取り除いてもダメ)と聞いて、すごいな〜とびっくりしました。
自分の無意識的なセンサーを使って人と関係を選択していく
誰かと関係を深めていったり、団体に所属したり、環境を選んで行ったりする時に、「すごくいい条件(人)なんだけど何か引っかかる」という感覚を感じたり、違和感を感じたりすることってありますよね。
私も時々なんか違うな〜という時があるのですが、その感覚を無視して頭で判断して進めたりすると、やっぱりなんか違うな〜という結果に行きついたりして、この感覚って大事な自分の本能的なセンサーなんだなと感じたります。
「この人といるとなんだか心地いい」
「この人といるとなんだか嫌な感じになる」というのは結構鋭くて、
自分を守っていくための大切なセンサーなんですよね。
ですが、この無意識的なセンサーって色々な判断を「他人」や「世間」といった自分の外側に委ねてしまっていると(それって感覚麻痺の症状ですが)、いい塩梅で使っていくことが難しくなると感じています。
世間的にいいと思われることだから手放せないとか、
誰々がいいといったから辞められないという感じになってしまう。
また、逆に誰々がやめたほうがいいと言ったから、自分ではそうは感じなかったけど手放してしまった…ということもあるかもしれません。
本当は自分の感覚に沿って動いていくと、自分にとって心地よいものを選び取っていけるんだなと感じます。
自分にとって心地がいいということは、それだけ摩擦のない関係ということですよね。
摩擦のない関係ということは、そこには足の引っ張り合いや嫉妬などの問題がないということ。
人の顔色を伺う必要のない関係だということ。
自分と同じくらいの感度で、コミュニケーションが取れている関係だということです。
でも、その感覚を無視して「世間的に見栄えがいいから」とか「あの人がそうした方がいいといったから」といった感じで進めてしまうと、人から見たら羨ましがられるような人と関係を持てたり、環境に行ったとしても、結局足の引っ張り合いや嫉妬の嵐でどんどん自分が疲弊していったり、コミュニケーションのズレを修正するために余分な力を使ったりすることでいつも疲れが取れない…なんて状況が作られてしまうのかなと感じます。
また、足の引っ張り合いがあったり、嫉妬されたり、上手くコミュニケーションが取れないということが続いていると、周りから自分に対してのネガティブな言葉がけも増えてきますので、「自分って良いもの」「自分には力がある」という感覚も失われていってしまうのかなと感じます。
感覚麻痺の人にとって、自分の感覚を信じて決めていくって結構怖いことかもしれないと感じます。
なぜなら、ずっと「誰かの感覚」を基準にして生きてきたから。
でも、トラウマからの回復の中で自分の感覚を取り戻していくと、無理なものはどうしても無理だ!と自分の感覚に沿っていかざるを得なくなるなと感じます。
それって、自分の心の底から湧き上がってくる感覚なんですよね。
そして、その感覚に沿って動いていると、意外といい感じに心地いい人や環境を選んでいくことができる。
お互いがお互いを心地よいと感じられる人と関係を紡いでいくことができるなと感じています。