完璧主義はほんとうに私の感覚?
こんにちは!松浦みづほです。色んなところで色んな紫陽花が咲いてて、きれいですね〜。
白に少しだけ色が入っているのが一番好きなんですが、あんまり見かけないので、見つけた時はちょっと嬉しくなります。(と言いつつ写真は青いあじさいですが。笑)
「できない」のその理由
何かを始めることが出来ないとか、続けられない!というようなことがある時、どんなことが足を引っ張っているのかな?と見てみると「初めから完璧を目指してしまう」ということが影響することもあるのかなと感じます。
例えば、自分で「ドレスを作ってみたいな」と思ったとします。
でも、自分はまだ洋服を作ったことがない!となったら、いきなり本番の布を使って作り始めるのではなく、もっと扱いやすい布を使って練習していく必要がありますよね。
全然ミシンも使ったことがない!となったら、まず綿の布を使って、縫い方や、型紙の取り方や、裁断の仕方、まち針の打ち方、縫代の処理の仕方などを一つ一つ学んで、自分のものにしていく段階が必要になってきたりします。
そして、扱いやすい布を使って基本ができるようになったら、もっと繊細なオーガンジーやシフォンなどの生地が扱えるように練習してく。
繊細な布は、きれいに縫うのも、縫代の処理も大変だったりします。
それをきれいに扱えるように練習していく。
そんな、目指すものにたどり着くための小さなステップってあるなと感じます。
でも、何かが出来ない!となってしまっている時って、その小さなステップをすっ飛ばして、一番高いところを見てしまっていたりするかもしれません。
10階建ての建物だって、一段一段上がっていけば最上階にたどり着けるけど、一気に10階まで上がる!となったらそれは無理だ〜と感じるのは当然だなって感じます。
完璧じゃないといけない気持ちの根本は?
トラウマの問題から開放されていくと、不思議と一つ一つ何かを積み重ねていくことができるようになっていくなと感じます。
自分には出来ない〜!と言っていたけど、ちょっとづつチャレンジしていけたりします。
無理!と決めつけずに、できることから始めてみようと思えるようになったりもします。
その積み重ねられるようになっていく過程でどんな感覚の変化が起こっているのかな?と見ていると、完璧じゃなくてもいいんだ!だったりすることがあります。
そして実は、「完璧じゃないといけない」気持ちの背景には、失敗することの恐怖や、間違うことへの恐怖があるかもしれません。
でも、その恐怖って自分が初めから持っていたものかな?と心の中を見てみると、いつか誰かからそう言われた言葉だったりします。
「なんでこんなことも出来ないんだ(目標が大きすぎる)」とか、
「もっとすごい人もいるのに、この程度で出来たと思うな」とか、
色々なメッセージがありますよね。
そして、それって相手が嫉妬の発作を起こして出た言葉だったりします。
その私が持っている力に嫉妬して、いい気になるな〜!って感じで攻撃してきているだけだったりします。
だけど嫉妬の言葉ってとても威力があるので(うけると大変ダメージを受けます!)、何かを始めることに対して恐怖感を感じてしまったり、その言葉達を自分の中に取り入れてしまって「完璧に出来ないならやってはいけない」と思っていたりするなと感じます。
そんな嫉妬されて攻撃されたトラウマから開放されていくと、チャレンジしてみることへの楽しさ、目標までの過程も楽しむことができるんだなと感じます。
そうすると、楽しみながら自分の力を使っていくことができて、気がつくとあれもこれも出来てた!となっていくんだなと感じています。