自分の才能をひとつひとつ認めてみる
こんにちは!松浦みづほです。
最近の、大嶋先生の血糖値のお話し面白いですね。
私も食後に眠くなるし、お腹すいた状態でスーパーに行くと買いすぎるし、ずっと食べていたいってなるときがあるな~って思いながら読んでいます。笑
最近はあまりないですが、頭が真っ白になる!もよくありました。
なので、低血糖な感じわかるな~と思いながら読んでます。
こんなことも才能なのかな?と思うものが才能
その方が気が付いてないだけで色々な才能があるなと思います。
(なんで気がついていないかは嫉妬問題など色々あるなと思います)
例えば、「細かいことに気がつく」っていうのも才能だなと感じます。
細かいことに気がつくって、周りの人が見えてないものに気が付いているということ。
小さな違和感や細かい変化に気がつくことのできる才能だなと感じます。
これって細かく感じ取れる人が、同じように細かく感じ取れる人といられると、「一緒だね」となって分かりあえて、ストレスなく過ごすことができるんだと思います。
でも、そうでない方たちの中に「細かいことに気がつく人」が入ってしまうと、周りとの差でストレスを感じるようになってしまうこともあるかもしれません。
そうでない人たちはただ見えてないだけなのですが、「気がつく人」は見えてしまうので、「なんで?」「なんで?」となってしまうんですよね。
その都度、周りの気がつかないことに気がついてしまうので、(しかも周りは気がつかないためにそのままにするので)まるで靴の中にずっと小石が入っているみたいにストレスを感じることになってしまいます。
私が以前、細かいことに気がつく人と、そうでない人について納得だなと思った表現は、周りの人と画素数が違うと思うといいんだよということでした。
ドットの大きさが人それぞれ違うから、大きなドットで世界を見ている人と、細かいドットで見ている人は、見えてる映像が違うと思うと、その差についてあまり気にならなくなるんだよということです。
それって例えばこんなことで、目の前にウサギがいたとして、どんな画素数でみていてもウサギはウサギなんです。
でも、ブロック絵のようなウサギかもしれないし、立体的なウサギかもしれない。
同じように見えていると思うから、なんで?となってしまうんですよね。
細かく見えてしまう人がブロック絵の人たちの中に入ってしまった場合、本当は気づく力があるので細かく見ていくことができますが、自分の中でちょっと画素数を大きくしてみると、意外とざっくりさせた方が周りと感覚が揃うんだ!となって肩の力を抜いていくことができるのではないかなと感じます。
全力で頑張らなくても、周りからはちゃんとできているように見えていたりするんですよね。
そうやって自分の才能を認めてあげることで、楽に動けるようになるということがあるなと感じます。
また、自分の才能を認めることで、同じように感じる人たちを見つけていくこともできますしね。
自分の才能を認めるって、そんな風に自分が楽に動いていくために大切なことなのかなと感じます。