“人の気持ちが分からない”は本当は人の気持ちを受け取りすぎているのかも

こんにちは!松浦みづほです。紫陽花が咲き始めていますね〜。

その感覚は本当に自分の感覚?

トラウマの影響ってすごくいろんな要素で「自分」というものに影響を与えているなと思います。

例えば、“自分の感覚がわからない”という感覚麻痺の状態。
感覚麻痺の状態になってしまっていると、自分がどんなことを感じているのかがわからなくなってしまいます。

どんなことが自分にとって楽しいのか?
自分が何をしたいのか?
そんなことが感じられなくなってしまったり、
人との一体感が感じられなかったりしてしまいます。

だけど、そんな風に自分の感覚が感じられていなかったりするのに、自分が麻痺していると気が付いていないこともあったりするなと感じます。

自分の感覚あるよ?色々感じているもん。って感じです。

でも、その感じている感覚って、実は自分のものでないこともあるな〜と感じます。
その“感じている”と思っている感覚が、他人の感覚を取り込んだものだった、ということもあると感じます。

だけどそういう場合って、かえって“人の気持ちが自分はわからない”と思っていたりします。
人の気持ちとか全然わからないし、雰囲気とか察するのが苦手なんだよね〜と自分のことを捉えていたりするんですよね。

どうして自分のものでない他人の感覚を取り込んでいまっているかというと、自分の感覚がないために人の気持ちの中に正解を探そうとしているから。
常に人の気持ちを考えているから、必要以上に他人の気持ちを自分の中に取り込んでしまっていたりします。

そして、その取り込んでしまった感覚を“自分のもの”と捉えてしまっている。
そんな風に、いつも人の気持ちを考えて人の気持ちや感情を必要以上に受け取ってしまっていたりすると、自分の感覚が感じられていないと気づかないこともあるなと感じます。

感覚麻痺の下にある本当の自分の気持ち

そんな時に、「心に聞く」を使ってみたりして、この感覚は自分のものですか?それとも誰かのものですか?とやっていくと、あれもこれも自分のものじゃなかった!なんて風になって行ったりします。

そして、トラウマ治療を進めていくと人の気持ちを考えなくなっていったりするのですが、人の気持ちを取り除いて行った時に、感覚麻痺の状態に直面することもあるかもしれません。

人の気持ちで覆い隠されていた、感覚麻痺の状態が出現!という感じです。

感覚麻痺状態が出現すると、一見悪くなった!という風に感じたりもするのですが、本当の問題がそこで現れたということなんだなと思います。

そこで、そのまま感覚麻痺の元となっているトラウマにアプローチして治療を続けていくと、“自分はこれが楽しいな”とか“心地いいな”という感覚が感じられるようになっていく。

感覚麻痺の下にあった、本当の自分の感覚が感じられるようになっていくんだなと感じます。