「不安」の出所を探す

こんにちは!松浦みづほです。

時々、「◯◯さんはいいな」とか「すごいな」と思うことがあります。
そう思ったとき、「そんな◯◯さんのようになりたい!」って明るい気持ちで思えたら、その気持ちを自分が進みたい方向へ進んでいく力に変換していくことが出来ます。
でも、それが「自分ってダメだな〜」とか「自分にはなにもない」なんて言葉が続いてしまうと、そこから自分へのダメ出しがエンドレス!って感じになってしまって、うっかり延々と自分を傷つけ続けている…なんて感じになってしまうな〜なんて自分を見ていて思いました。

多分、「自分なんて…」が私にとっては自分を不快にさせるための燃料のようなものなんだろうなと思います。それをきっかけに不快な想像がはじまりやすいという癖があるんですよね。

でも、だんだん自分の感覚をモニターできるようになってくると、なんで自分はいまこんな感情になっているんだ?とか、なんか変だな?と感じられるようになっていくなと思います。

どうしてこの感覚に囚われているのか?
なにがきっかけでこうなっているのか?
それを、落ち込みすぎる前にふっと我にかえることが出来るようになっていきます。

あれ?と思った時、私の場合は心に聞いてみるのですが(考えるより早いので)、ちょっとこの場を離れて散歩に行ったほうがいいとか、別の場所に移動したほうがいいなんてことを教えてくれたりします。
そうすると、場所を変えただけでさっきまでのグルグルした感情が収まってしまったりして、実は隣にいる人の苦しみを自分のものと思っていただけだった!なんてことがあったりします。(人が集まる場所ではうっかりもらいやすいので工夫が必要です!)

昨日まではいい気分だったのに、とか、さっきまではなんとも感じていなかったのに…なんて時は、結構、誰かその辺にいる人の感情なんてことがあるな〜と感じます。
実際にその場から動くと、またなんとも感じなくなったりしちゃうんですよね。

最近また、大嶋先生の「言葉でホルモンバランスを整えて「なりたい自分」になる!」を読んでいたんですが、「匂いでその人がストレスを抱えているか、どんな症状を抱えているか分かる」というようなことが書かれていて、「匂い」にも人の状態って現れるものなんだな〜と感じました。
「匂いとして感じられるか」は、もしかすると個人差があるかもしれないですが、例え「ストレスを抱えている人の匂いだ!」と認識できなかったとしても、無意識にそうやって何かを感じ取っていることはあるんだろうなと思います。
(動物はしていますしね!)

言葉だけがコミュニケーションじゃないですね。
自分が心地いいと思えるものを選んでいきたいな〜!と思いました。