「嫉妬」が自分の才能を教えてくれる

こんにちは!松浦みづほです。
植木鉢にどこからともなくやって来る雑草って、早めに抜いた方がいいのかな〜と気になっています。
これはこれでありなのかな?と思って放っておいてしまっているんですが、このままだと根っこが伸びていきそうでどうなんだろうと思っています。笑

「嫉妬の本」読んでいます

「あなたの才能があなたを苦しめる」を読んでいます!
前回の嫉妬の本の時も感じましたが、この「嫉妬の発作」という見方って、本当に才能があって嫉妬されてしまう方を助けてくれる考え方だなと感じます。

私も「嫉妬の発作」という見方もあるんだな〜という風に周りを見るようになってからは、色々なことが腑に落ちる部分もあったりして(自分以外のことでも)、発作ならしょうがないか、と段々とスルーできるようになってきたと思います。
もちろん、初めの頃は嫉妬されることに対する恐怖の感覚も結構あったので、「嫉妬=怖い!」となってしまっていましたが、FAPで嫉妬に対する恐怖心をやって来たこともあるのか、今はそんなに怖いという感覚はなくなってきたような気がします。

「あ、これは嫉妬の発作が起こっていますね〜」と流せるようになっていく感じ。
自分というものへの評価?的な部分が良いものになっていることも影響しているかもしれません。

そんな風にスルーできるようになっていくと、誰かが嫉妬の発作を起こしていても動揺したりということが少なくなっていくと感じます。

嫉妬されてしまう方って、「私のどこに嫉妬しているんだろう?」と、どうしても自分のことを捉えがちだと思います。
「私になんて何もないのに」
「私のどこに嫉妬しているんだろう?」って。

だけどそれって、やっぱり嫉妬によって「なんにもない」様にされてきてしまっただけだなと感じます。
それはなぜかというと、周りの人はその方の才能や力に気が付いていて、何らかの行動をとっているから。

たま〜に、そのままあなたには才能や力があるよと伝えてくれる人もいますが、
(そういう人は、自分と同じくらいの人なので発作が起こりにくい人ですよね)
(そして、自分の力を認められるようになってくるとそういう方と出会う様になっていく様に感じます)
「私には何もないのに」となっている時は、相手が嫉妬の発作を起こして、その方が嫌な気持ちになる行動を取られることが多いと感じます。

そして、また「自分には何もない」となってしまう。
そんな繰り返しが起こってしまっているなと感じます。

だけど、そこで「私には何もないのに」となってしまうと、また嫉妬されての繰り返しになってしまいますよね。
だから一度しっかり「自分は嫉妬されている」と認めてみるのがいいかもしれません。

「私には嫉妬される様な、なにかがある」って。

そうやって自分の力を自分で認めることができるようになっていくと、
相手が嫉妬の発作を起こしていても
「発作を起こしているから触らないでおこう」
「これは相手の問題」
と捉えることができますし、
さらに嫉妬がより起こりにくい人間関係が作れる場所に進んでいけると感じます。

「嫉妬の発作」という風に見ていくことによって、自分の才能・力がより浮かび上がって、
自分がどこにいったら心地よいのかということも、明らかになっていく。

そんな風に、「嫉妬」が自分の本来の姿を指し示してくれていると見ることもできるなと感じました。