心地よい関係のために境界線を引く

こんにちは!松浦みづほです。
今日はとってもあたたかだったので、ちょっと薄着をして出かけたらそれはそれで寒かったです。
梅がきれいに咲いていて、春がくるな〜って感じですね。

自分と人との心地よい境界線

共依存である人たちのほとんどが、人との間に境界を設けることを学んでいません。

(中略)

境界のない人間関係とは、「からみあう、巻き込まれている」状態です。
自分の感情や要求が人の感情や要求にからみあって、巻きこまれています。
自分がだまされているように感じたり、ひどい心の痛みを感じたりすると、からみあって、巻きこまれていることはわかります。そして相手のことを非難しますが、その人からは離れません。
相手のことを自分は本当はどう思っているのかと考えると、混乱してしまうこともあります。

(中略)

からみあった関係をときほぐすには、はっきりとした境界を設けることが必要です。
じつは、人と親しくなったり、距離を置いたりするには、境界に柔軟性がなければならないのです。
柔軟な境界は、人が成長する余地をあたえます。
そして、出会った人すべてとつながりをもつというやり方ではなく、相手や状況に応じた適切な選択ができるようになります

共依存かもしれない…他人やモノで自分を満たそうとする人たちの/ケイ・マリー・ポーターフィールド著 監訳 水澤都加佐

人と自分の間に境界線をひくって、人に対する信頼感というものがないと難しいところがあるのかなと感じます。

人に対して信頼感を感じられていないと、自分から離れていかないでほしくて必要以上に近づきすぎたり、逆に自分から離れていってしまうのが怖くて、初めから関わることを諦めてしまったりということがあるかもしれないなと思います。

どのくらい近づいていいのか分からない。
どのくらい距離をとってもいいのかも分からない。

だからいつも人のために自分を犠牲にしているような感覚があったり、孤独感を感じてしまったり、そんな葛藤があるかもしれないなと思います。

人との関係においても、やっぱり自分の感覚というものは大切で、本来は相手とこのくらいの距離感だと心地いいなとか、これ以上近づいてしまうと嫌だなっていう「自分の」感覚によって、自分と相手との境界が心地よく引けるんじゃないかなと感じます。

でも、自分の感覚で動くことを否定されたり、自分の感覚より人の気持ちを優先するような環境がベースにあると、自分の感覚が麻痺してしまっています。
そうすると、家の外でも他の人の様子や、相手の感覚で動いてしまう。
まわりの人はいつも誰かと一緒にいるからそれが普通なんだとか、相手が求めてくるからこれが普通なんだって判断しようとするかもしれないなって感じます。

でも、「自分」にとって、その人とどのくらいの距離感が心地よいかって、自分にしか感じることができないもの。

FAP療法を受けていると、段々と自分の「心地いい」とか「不快」だっていう感覚が分かるようになっていくなと感じます。(同じこと何度も言っているかもですが…笑)
今まで世間的に…とか、常識では…といってなんとかやってきたものが、無理なものは無理だ!って感じられるようになっていくなと思います。

そして思い切って距離を開けてみると、楽だなって感じられる環境が整っていく。

環境が整ってくると、もっと自分の感覚が分かるようになっていくから、そこから更に心地よい関係が広がっていくなと感じています。

「心地よさ」を、もっともっと求めていいんだよねって思います。