傷ついた自分に光をあてる

嘆きのプロセスを受け入れる

要求に応えてくれなかった、あるいは答えようとしなかった家族とすごした子ども時代にひたると、共依存の人は「嘆きのプロセス」へおちこみます。
しかし、子ども時代はすでにすぎたことです。本気で共依存をくぐり抜けようとするなら、子ども時代にもどる、幸せな子ども時代をもう一度すごす、という誤った希望を持たないことです。

子ども時代をやり直すということは、そこにもどって再び子ども時代を生きるということではありません。
もちろん、私たちの抱いている思いや気持ちは、その時代にもどって再現することができます。
しかし、私たちの人生は自然の法則にしたがって刻々と前へ進んでいます。成長するためには、子ども時代を手放す必要があります。

友達やペット、結婚や仕事などの喪失を体験した人を扱っているカウンセラーは、人が喪失を完全に受け入れることができるようになるまでに、いくつかの嘆きのプロセスを通ることに気がつきました。
これは共依存から回復するときに通るプロセスと似ています。

共依存かもしれない…他人やモノで自分を満たそうとする人たちの/ケイ・マリー・ポーターフィールド著 監訳 水澤都加佐

嘆きのプロセスを通して自分自身に光をあてる

こんにちは!松浦みづほです。

過去の出来事を無かったことにせず、あのとき本当はこんな感情だった、自分は苦しんでいたんだって認めることって大切なことなんだなと感じています。
あまりにも辛い経験があると、その出来事を乗り越えるために、心を凍りつかせて無かったことにするという手段をとることがあります。
でも、その時、その出来事をやりすごすにはそうするしかなくても、傷ついた自分を無かったことにすることはできません。

だから、無かったことにされた自分がここにいるよって症状を通して教えてくれたりするんですよね。

無かったことにしていた自分に光をあてること。
その自分を今の自分に統合していくこと。

そうすることで、過去が今に飛び出てくるのではなく、自分の歴史の一部分として捉えられるようになっていくなって感じています。

執着を持たされることで過去に囚われてしまう

子ども時代をやり直したいという風には感じていないかもしれません。
ですが、執着を持たされることで過去に囚われてしまうということはあるなと思います。
「今」を感じたいけど、過去の憎しみや恨み、愛して欲しかったという感情に囚われてしまう。
愛されたかったという気持ちから、求めなくてもいいものまで求めてしまう。
虚しい気持ちを埋めるために、何かに依存していってしまう。
そうすることで、本当に自分が感じている感情から離れていってしまい、自分自身を生きることができなくなってしまうのかなって感じます。

私がFAP療法を受けていて感じるのは、トラウマ記憶を治療していくことで執着って切れていくんだな〜ということです。
執着がなくなっていくと、不思議と「まあいいか」に近い感覚というか、あまり気にならない感じになっていくなって私は感じます。

そして、それまで執着していたものが気にならなくなってくると、「今の自分」に力を注げるようになっていくなって感じます。それまで過去への囚われに使っていた力を「今の自分」に使えるようになっていく。
そうすると、自分の力を使って、自分の希望を叶えていくことが出来るんだなって感じています。