「注目」することでこうありたい自分に向かってく
こんにちは!松浦みづほです。
「注目」って、望んでいる・いないに関わらず、相手の要素を取り込んでしまうなと感じます。
「注目」をどんな風に使うかが自由になるポイントなのかも
この「注目しているとその人の要素を取り込む」というのを、
自分がありたい自分でいるために使うと、大嶋先生の本にあるように「素敵だなと思う人の真似をすることで、暗示によって作られた偽りの自分から本来の自分に戻る」という感じになるのかなと思います。
真似をすることによって、こうありたい自分になることができる。
ですが、憎しみや執着から注目してしまうと、
「あの人の様になりたくないと思っていたのに、気がついたら憎んでいたあの人のようになってしまっていた」ということになるのかもしれません。
私も自分自身のことを思い出してみると、確かにな〜と思ったりするのですが、
会社で働いていた時、この人のように仕事したいなと思ってその人の動きとか話し方とかをじ〜っと見ていると、段々喋り方とか、字まで似てきたりしていました。
じっと見ていると、こういう時にこんな事に気を使っているんだな〜とかその人の見ている世界が見えてきて、よりきめ細かい動きが出来るようになっていく。
(注目しすぎて字が似てきてしまった時はやりすぎたなと思って少し調整しましたが。笑)
でも逆に、この人嫌だなという人を見ていても、段々その人のようになっていってしまっていたなと思います。
気がついたらなんか怒りっぽくなっていたとか、今までこんな言い方してなかったのにな…ってことを言ってしまっていたりする。
自分が「なりたい私」を選んでいく
この「注目」を上手く使おう!と思ったら、注目する人を選べばいいんだなと思います。
どんな人に注目を向けるか、自分で選んでいく。
その基準は、自分もこんな風になりたいなと思う人。
この人素敵だなと思う人に注目を向けていく。
そうすると、気がついたらその「いいな」と思っていた人と同じネットワークに繋がって、そんな人との出会いが増えていくのかもしれないなって感じます。
どんな人に注目を向けているかって、実は結構大切なことなんですね。