人に尽くすことがやめられない

こんにちは!松浦みづほです。
この前まつげパーマというものを始めてかけてみたのですが、その時に自分が逆さまつげだということが分かってびっくりでした。
目に入ったりしなかったので全然気がついていませんでした。そうなのか〜。
マスクをしていてもカールがとれないので、もしかしてすごく楽なのでは…と思っています。

「いい子」「いい人」をやめられないのは?

「いい子でいないといけない」という思いを心の中に持っていると、自分や生き方が不自由になってしまうな〜と感じます。

自分では、周りの人、そして自分を幸せにするために「いい子」「いい人」の自分でいると思っている。
だけど、「いい子」でいるために、色んなことを我慢して、自分の感情を無かったことにして、怒りを押し殺して生きることになってしまうなって感じます。

「いい子」そして大人になってからは「いい人」をやっていると、外から見たらそれって「いいこと」なのかもしれません。
でも、それって周りの人たちにとって役に立つからいいね!というだけかもしれないな〜と思うことがあります。
周りの人にとって「いいね!」ということは、自分の役にたってくれてありがとう!ということなので、ものすごく尽くしたとしても、自分に返ってくるものは何もなかったりします。

あげてあげてあげつくしても、自分に残っているものは何もない。
沢山あげても、誰からも何も帰ってこないし、いざ自分が助けてほしいとなった時には誰も助けてくれなかったりもします。

そんな風に、「いい子」「いい人」でいるって結構自分にとっては辛いことなのですが、今の苦しみがその「いい子」でいることから来ていると気がついていなかったり、気がついていてもやめられなかったりすることがあります。
(というか、気付いてやめられるならとっくの昔にやめてますよね!)

それってどうしてやめられないのかな?と思うと、その根っこには「いい子でいないと愛されない」とか「いい子でいないと捨てられてしまう」といった感じの、トラウマの恐怖の感覚に繋がっていくのかなと感じます。

本当は、ものすごい恐怖の感覚が根っこにあるから、「いい子」「いい人」でいることをやめられない。
そして、「いい子」「いい人」でいる限り、自分が本当に満たされることはないっていう、どちらにしても満たされない展開をグルグルしてしまうことがあるかもしれません。

でも、不思議なことに「いい子(いい人)でいないといけない」という感覚から解放されていくと、(本当になぜか)周りからの助けや、サポートがもらえるようになっていくなと感じます。

いい子でいなくていいや!と思っているから、今までのように人の為に動いたり、人の気持ちを気遣って先回りしたりしていないのに、周りの人と調和的な関係を築けているという感じになっていったり、今まではあげてもあげても返ってこない関係の中にしかいられなかったのが、お互いに助け合えたり、与え合えたり出来るような関係を選ぶことが出来るようになってきたりもする。

そんな展開を見ると、トラウマの影響って自分や自分の生き方に大きな影響を与えてしまうんだなと感じます。
そして、その影響から抜け出すことが出来ると、自分自身が本当に満たされるように生きることが出来るようになるんですね。