できない自分を受け入れると
こんにちは!松浦みづほです。
今まで使っていたキーボードが、なにをしなくてもずっと4を入力し続けているので、これは本格的に壊れたんだなと思いキーボードを新しくしました。
そうしたら、今まで「@」とか「()」が全然ボタンとは違う場所を押さないと入力できなかったのが、そのボタンを押して入力できる様になりました。笑
今までもしかしたらちゃんと設定ができていなかったのかも?
ちゃんと設定したつもりだったんですが…おかしいな〜。
でもとっても便利になりました。
自分を作ってしまう…その本当の理由は?
私が「自分なんて」という思いがすごく強かった頃、相手によって自分を変えるということをやっていました。
その人、そのグループによって、そこで一番好きでいてもらえそうな、受け入れてもらえそうな自分を作っていました。
なので、ある人にとっての私はおっとりしているよね〜という人だったり、別の人にとっては、結構辛口だよね〜という人だったりしました。
だから、今この人達といるときに別の「私」で対応している人がやってきたら、その時はどうしたらいいんだろう?と結構真剣に考えていたりもしたんですよね。笑(そんなに起こることではないんですが)
それぞれの前で出している「私」が違うので、もしも別の「私」で対応している人が集まったら、私は「どの自分」でいたらいいんだろう?と思うくらい、それぞれの前で出している自分が違うという風に自分では捉えていました。
そして、「人といる時は自分を作っている」ので「本当の自分は誰にも見せていない」という孤独感もとても強く持っていました。
本当の自分を知っている人はいない。
本当の自分は誰にも見せられない。
そんな風に思っていたなと思います。
本当の自分をどうして見せることができなかったかというと、一言で言うと「そのままの自分って価値がない」という感じだったんだと思います。
そのままの自分ってつまらないし、誰かにいいね!と言ってもらえるわけなんてないから、何か「足して」いないとすごく怖かったんだと思います。
相手が好きそうな自分になることで、「足して」自分の価値を高めていたんだろうなと思います。
なにを「足す」かは人によりますが、おしゃれだったり、学歴だったり、収入だったり、交友関係だったりで「なにもない(と思っている)自分」を隠すために何かに一生懸命になってしまっていることがあるかもしれないなと感じます。
私の場合は、FAPを受けたり、その期間のいろいろな出会いの中で、本当はなにを足す必要もなく「自分は自分のままでいい」んだなと感じるようになりました。
そしてそれは、「できない自分でもいいんだよ」と言うことでもあったかなと思います。
それまでは、自分の弱いところを見せるなんて絶対にできないことと思っていました。
自信がないことを話すなんてすごく恥ずかしいことの様に思っていましたし、人と比べてできてないことがあることを恥ずかしいって思っていました。
だから完璧を目指してしまっていたのかも。
心の傷が癒されていくと、できない自分を受け入れていくこと、そしてできなくても人は自分のことを受け入れてくれるんだ、と言うことが本当の意味で分かっていく様に感じます。
私も、ずっと孤独を感じて人の話の中に入りたいって思っていましたが、できない自分を受け入れたときに、人との一体感を感じることができる様になって行ったなと思っています。