段階を踏むことで自分を取り戻していく

こんにちは!松浦みづほです。

「赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケア」の本にもトラウマからの回復のステップが載っていますが、回復には段階があるということが分かっているだけでも、不安って和らぐんじゃないかなと思っています。

どんな回復の道を辿るかって、もちろんその人それぞれの物語があると思うのですが、全く道標がない状態で暗闇の中を歩いていくのって苦しいなと思うからです。

この状態っていつまで続くのかな?
こんな風につらいのっていつまで続くのかな?
このプロセスって本当に回復しているのかな?って、
苦しい時ほど感じます。

でも、これは回復の途中で、例えば解離が取れてきたから色んなことを感じるんだとか、緊張が落ちてきて症状が出せるようになってきたんだって分かるだけでも、見えるものって違うと思います。

「共依存かもしれない…」こちらの本にも回復のプロセスがありましたので、引用させていただきたいなと思います。回復の中の道標になったらいいなと思います。

嘆きのプロセス

①ー否認
否認のなっただなかにあるときは、自分の育った機能不全家族をまったく健全だと思おうとします。
そして、成長の過程で必要なものを自分は身につけてこなかったと、自分自身を責めるのです。自分が子ども時代の体験でどれだけ傷ついているかがわかると、ショックを受けたり、心がマヒしたようになってしまうことがあります。

②ー怒り
ショックがすぎさると、とても大きな怒りを感じます。
幼いころ、親からネグレクト(育児放棄)や言語的、感情的、性的、身体的虐待の犠牲者となって虐げられてきた怒りがでたのかもしれません。
怒りの段階にあるうちは、親に対して怒りくるいます。
そうしているうちに、親が過去にしてくれたことやしてくれなかったこと、親がどういう人かということを、切りはなして考えることができるようになります。
子ども時代に自分の身に起きたことに対して、それをした人を憎むようになれるのです。

③ー悲しみ
怒りが影をひそめると、愛情に満ちた家庭で成長した子どものような幸福な子ども時代を体験することができない、という悲しみを感じるようになります(しかし健康な家庭といっても完全であるわけではないのですが)。
この段階にあるうちは、心や頭の中で過去を再現します。(略)嘆きつつ、幼い頃にもどりたいと思います。

④ー無関心
悲しみが去ると、空虚感を抱き、しばらくの間、無気力になってしまうことがあります。
悲しみや怒り、恨みといった感情は、それが抑圧されていても表現されていても、人生の中心を占めています。
なので新しい感情が次にでてくるまでは混乱するのです。過去は去り、未来はまだやって来ていないのです。
見た目には多くのことが起こっているようには見えないのですが、このプロセスを経ることで、自分を今まで以上に理解し、受け入れることができるようになります。

⑤ー受容
不完全な子ども時代を変えるためにできることなど何もないということを、しだいに受け入れられるようになります。
子ども時代の体験は、あなたの一部なのです。
それが今の自分を形づくったのです。
過去から目をそらさずに、しかし過去と戦うことをやめれば、この不遇に満ちた時間はあなたをコントロールする力を失います。
人をコントロールしたりお芝居をする必要もなくなり、現在を生きて、その時々の人生を受け入れられるようになります。

問題に満ちた子ども時代を受容することは、それが当然の報いだと考えたり、何も起こらなかったかのようにふるまうことではありません。
許すこととイコールでもなく、その最初のステップとなるものです。

共依存かもしれない…他人やモノで自分を満たそうとする人たちの/ケイ・マリー・ポーターフィールド著 監訳 水澤都加佐